私の目は、ちょっと変わっている。
真っ黒な右目は、みんなと何も変わらない。ありふれた景色を誰もが見る色で見る。
けれど、少し灰色がかった左目のほうは、単体だと普通の色をとらえることができない。片目だけで世界を見るとほとんどモノクロで見える。こう言うと病気か何かに間違われそうだけど、ちょっと違う。左目だって色はわかる。ただ、見えるのが人の抱えている思いの色というだけだ。感情、信念、記憶、妄想……、そういう、普通は目に見えないものが放つ、物体の中に閉じ込められない自由な色を、私の左目は見抜くのだ。
このことに最初に気づいたのは小学校に上がる前。ウインクができるようになって初めて、いつもの風景にいつもとは違う色彩が乗っかっていることに気づいた。やがて、それが人の感情であることを理解してからは、両目のときでもその色が見えるように練習するようになった。そして、その色の印象から相手の思っていることを推測できるようにも訓練しだした。
それができるようになってからは、私の人間関係はおおむね順調だったと言える。
私をよき理解者だと思ってくれる人も少なからずいたし、悩み相談をされることもよくあった。正義感もそこそこ強かったから、人助けに使ったこともある。小6の頃には生徒会長に選ばれるくらい人望も厚くなっていた。
けれど、それに頼りすぎていた面も否定できない。
うまくいっていた時代は、もう終わりを告げた。
人より優れた能力を持っていたことに、ある種の優越感を抱いていたせいもあるだろう。そして、それをよく思わない人間が世の中の大多数を占めていることに私が気づかなかった、というのも大きい。それが、一ヶ月前の「あの事件」の引き金になったのだと思う。「あの事件」以来、私はクラスの中でほぼ完全に孤立していた。
今日もクラスでの視線は刺すように冷たかった。私が目を上げると、それらはぱっといなくなってしまうけど、視線を下に戻した瞬間、どこからともなくそれは戻ってくる。私は誰にも見られないように右目をそっと閉じて、その色をはっきりと盗み見る。それが最近のクセになりつつある。
今日も、いつもと同じ。暗いグレーがかった水色。何かの陰に潜んでちらちら光る氷の蛇みたいな感情の集まり。クラスメイトそれぞれからちょっとずつ私に向かってきていて、それが私の周辺で濃く固まっているのまでよくわかった。
今のこの状況について、担任はおろか家族にも何も相談していない。実際に誰かに「死ね」とノートに落書きされたわけでもないし、体操服や運動靴を隠された経験もない。机にゴミというゴミが入れられたこともなければ、身の回りのものに画鋲を仕掛けられたというわけでもない。
被害という被害は何一つ起きていない。ただ、ひたすらにみんなが私を遠巻きに見るようになっただけ。私と視線を合わせないようになっただけ。全て、自分を危険から守るための本能。ただ、その結果。
私は、今、見てはいけないものとして見られている。
自分の左目がどうしようもなく疎ましいはずなのに、心のどこかではまだ必要としている。
そして、そのどちらにも自分は傾けない。
そんな私という存在が、たまらなく嫌いだ。耐えられない。
「つーぐーみちゃんっ」
でも。一人だけ、例外がいる。
「……相原さん」
相原はるか。2年のときのクラス替えで一緒になった女の子。別に席が近かったわけでも何でもなかったのに、彼女はよく私に話しかけてくる。そういえば、それは一ヶ月前からのことだったような気もする。
「ね。一緒に帰ろ?」
「いつも言うようだけど、私といてもいいことないよ?」
「そんなことないよ? つぐみちゃんといると、とっても落ち着くもん。何か大きなものにくるまれてるみたいな感じがするの」
相原さんは私と肩を並べて、うれしそうに帰り道を歩く。つくづく変わった子だ。
帰り道は、いつも彼女の一人舞台だ。今日何があっただの、昨日のテレビに出てたお笑いタレントがどうしたの、私には全く興味のない話題が右から左へと流れていく。
「つぐみちゃんは、芸能人で言うとどんな人が好きなの?」
「別にいない。テレビ見ないし」
「ふーん」
会話があってもこんな調子。続かない。でも、彼女はそれに対する気まずさを一切気にしていない。というか感じてもいない。でも、私は気になる。
「ねえ」
「何? っていうか、つぐみちゃんから話しかけてくれるなんて珍しいよね? えっ、どうかしたの?」
どうしてこの子は一言でいいものを、二言も三言も余計に出してくるのだろう。
「どうして、相原さんは私と一緒に帰ろうとするの? いてもつまんないでしょう? クラスの雰囲気を見ればわかることだとは思うけど、誰もが私を避けてる。一緒にいるとそのうちあなたにだって被害が出るかもしれない。そこのところ、わかってるの?」
「大丈夫だよ。何かあったらつぐみちゃんが守ってくれるし」
あっけらかんと彼女は言う。それが、私には理解できない。
「どうして、そんなことわかるの? そうとは限らないかもしれないじゃない?」
「つぐみちゃんは、やさしいから」
「は?」
何を言ってるんだか。彼女と話していると疑問符しか出てこなくなる。なんで。どうして。
「……思い出さない? 昔、つぐみちゃんがわたしにしてくれたこと。つぐみちゃんのおかげで、つぐみちゃんがいてくれたから、今のわたしがあるんだよ?」
「は?」
わけがわからず問いかける。彼女とは今年が初対面のはずだ。面識などない。
「――やっぱり、もう覚えてないかもね。でも、『大塚はるか』って女の子の名前なら、覚えてるかな?」
「! 大塚、って……」
忘れるわけがない。だって、それは。
「わたし、4年生のときにつぐみちゃんに救ってもらったんだよ」
そう。4年生の頃だった。クラスで、一人の女の子がいじめに合っていた。人一倍背が小さくて、消極的で、いつも何かにびくびくおびえていた子だった。夏でも長袖を着ていて、その服の下には体中に抱えるたくさんのアザを隠していた。そのことでクラスの男子にからかわれ、女子からも浮いた存在になっていた。起こったいじめも、必然の出来事だったと言えないこともない。
でも、私はそのいじめには参加できなかった。その子のアザのそれぞれから、鮮血のように噴き出す赤を見ていたから。それがあまりにも痛々しくて、生々しかった。それが彼女の深いところに関わるように思えて、ある日私はこっそり彼女に尋ねた。何があったのか、と。
それを聞いてから、私がしたのはごく単純なことだ。このことを保健室の先生に相談しに行ったこと。その後、大人たちの間でどんなことがあったのかは知らないが、そのおかげで彼女は理不尽な暴力の繰り返しから解放されたとだけ、後から知った。けれどその頃には、彼女はどこかに引っ越してしまい、以来消息についてはわからないままだった。その彼女が、同じ中学で、まして同じクラスにいたなんて。
「あれから、あの人とお母さん、離婚して、苗字もお母さんのに変わったんだ。それからしばらくフリースクールに通って、中学校からはまた普通に通い始めたの。元の環境に戻ることに、ちょっとは不安はあったけど、そんなの、あの人と暮らしてたときに比べたら全然たいしたことないって、そう考えるとぜんぜん辛くなかった。……どんなに苦しい出来事だって、行動一つでいくらでも変えられるってことを、教えてくれた人がいたから」
「…………」
「クラス替えのときからずっと気づいてたんだけど、言えなかった。いつも誰かと一緒にいたし、言っても覚えてないかもしれないって思ったし。でも、『あのこと』があったとき、昔のつぐみちゃんを思い出しちゃって――あっ」
不意に、彼女はそこで言葉を切った。それが私の何かに障るのではないかと感じたのだろう。
「――ごめん」
「ううん。元から気にしてないから大丈夫だよ」
私は手を振って答える。
「逆にいろいろ思い出させてくれた。ありがと」
「ほんと?」
「うん。ほんと」
彼女の笑顔に私も思わず笑みを向けていた。まだ、自分は見捨てられてなんていない。それだけで、私はいくらか救われる。
いつの間にか、相原さんと別れる場所に来ていた。
「じゃあ、ここでお別れだね」
「あ。うん。――また、明日も会えるよね?」
「うん。きっと行く」
「じゃあ、また明日ね?」
「うん。また明日」
手を振り合いながら、私たちは別れた。
別れ際、片目を閉じなくても、彼女の思いをはっきりと見ることができた。その全身からは、輝くような白が太陽みたいに放たれていて、思わず目を細めてしまうほどだった。
その姿は、私には天使の翼が生えてるようにも見えた。

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