ぼくのボタンは、頭の後ろ、大体つむじのちょっと後ろ辺りについている。

 この世界の人間には、誰しも体のどこかにボタンがついている。あるいは手のひらだったり、あるいは背中だったり、またあるいは頭だったり。場所や大きさに個人差はあるものの、例外なく、あらゆる人にボタンがついている。
 このボタンを押すことは、自身のリセットを意味する。
 すなわち、この世から、消えてなくなること。
 死体も、骨も、何も残らない。
 ただ、存在の記憶だけを一部の人に残して、目の前から消えるのだ。

 もちろん、その後のことは誰にもわからない。
 普通に死ぬとも、過去に戻って人生をやり直しているとも、諸説は入り乱れている。自らのリセットを選んだ彼らが、再びぼくらの前に現れることはないので、ぼくらは勝手に好きな未来を信じるしかない。
 ちなみに、ぼくは、過去をやり直していると思う。
 ボタンを押した彼らは、今とは違う人生を歩んでいるから、ぼくらの人生とは二度と交わることはないのだ。

 この考え方は、ぼくら若い世代の間では一般的で、それゆえに、自分をリセットしたいと思うものは後を絶たない。
 特に最近は、インターネットを通じて、同じく自分をリセットしたい仲間と出会い、まるで心中のように、互いのリセットボタンを押し合うということが、社会現象と化している。この手の事件は、「リセット心中」とメディアでは取り上げられている。そうした出会い系サイトを「リセット系出会い系サイト」と称し、しきりに政府による取り締まりが求められていた。
 そして、今日、ぼくは、そんなリセット系出会い系サイトを利用して、夏の山奥の山荘まで足を伸ばし、相手の準備が整うのを待っている。

 ぼくの相手の名は、レンさんという。
 21歳の彼女は、ぼくには勿体ない相手だった。すらりとして、ぼくよりも頭ひとつほど背が高く、少しだけ明るく染められたロングの髪は、高級な絹を連想させた。どこかの広告で見かけるような切れ長の目をしていて、見るものをどきりとさせる。おまけに、若くして日舞の講師の資格まで持っているらしく、その所作には卒がなかった。
 彼女は、最後は好きな服が着たいからと言って、先に山荘の中へ入っていった。

 道中、ぼくはレンさんに、ボタンを押した先のことをどう思っているか聞いてみた。
「きっと、何もないよ。むしろ、私は、その先があってほしくない」
 淡々と、でも、はっきりとそう言った。
 レンさんにとっては、このボタンは、やり直しのためのものではないのだろう。

「入って」
 ドアが開き、浴衣姿のレンさんが現れた。髪をアップに結い上げ、うなじの部分があらわになっていた。うなじには、大きくて不格好なボタンがついていて、それだけで何もかもが台無しに見えた。
 その姿を見て、ぼくは理解した。
 人生をやり直すということは、「この体、この顔、このボタンで、もう一度、別の人生を歩み直す」というのが通説だ。外見は変わらず、中身だけが変わる。でも、彼女の場合、それでは駄目なのだ。
「じゃあ、準備はいい?」
 レンさんが、ぼくの頭に手をかけたので、ぼくは、レンさんのうなじに手を伸ばした。それはちょうど恋人同士が抱き合うような格好だった。
 しばらく、互いのボタンにそっと触れ合い、やがて、その指先の動きを止める。
 不意に、辺りを蝉の大合唱が包む。

 ぼくは、全てをやり直すために、このボタンを押し。
 彼女は、自らをなかったことにするために、このボタンを押す。

 

END

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