ポストを開けると、そこには一通の手紙が入っていた。
淡いオレンジの封筒で、猫のシルエットのシールで封がされている。表には、僕の名前と住所が右上がりの癖字で書き付けられ、裏には、何も書かれていなかった。
こんな手紙を送りつけてくる奴を、僕はカオル以外に知らない。
部屋に戻り、ペーパーナイフで封を切る。一瞬だけ、僕の部屋にはない匂いが通り過ぎる。この体験も、もう八回目だ。
三つ折にされた便箋を広げ、僕はカオルの手紙に目を通した。
今までの奴の手紙は、最初と最後以外は、すべてクエスチョンマークで終わってきた。どうやら、今回もその例には漏れないらしい。「元気か?」だの「勉強してる?」だの「恋してる?」だの、カオルには長い文章を構築する能力がないのかと疑いたくなる内容が、連綿と続いていた。
でも、今回は、ひとつだけ違うことがあった。それは最後の文章だった。
『追伸。この手紙は、今までとちょっとだけ違うところがある。ケイタ。お前は気づいているかな? これは俺からの挑戦状だ。もしわかったら、返事聞かせろよな。』
ご丁寧にも、「もし」の部分だけやたら太字だ。
僕は即座に、今までのカオルからの手紙を、机の奥から引っ張り出した。
「だから、僕は何かに期待なんて絶対しないことにしてるんだ」
「へえぇ、そりゃ立派なこった」
「森野、お前、バカにしてるだろ」
「べーつに」
昔の会話が、ふと、頭をよぎった。
中学のある日。夕焼けのまぶしい校庭の隅っこ。鉄棒があったところで、僕は初めてまともに森野薫と話をした。この日からしばらくして、カオルは転校してしまったから、事実上、これが最初で最後の彼との接触だったと言える。
カオルとはクラスメイトだったが、それまで一度として話らしい話をしたことはなかった。あいつは、学年でも目立ったおかしな奴で、普段から、誰とも群れないと公言しておきながら、なぜか自然と人を集めてしまうタイプだった。「俺は一人がいいんだー!」って騒ぎながら、「はいはい」と周りから軽くあしらわれる姿が日常茶飯事だった。僕と同じ一匹狼志向のわりに、その姿は僕とは対極で、個人的には、カオルが本心から一人を望んでいるのか、ずっと疑問だった。むしろ、周りをひきつけるためのポーズではないかとさえ感じていた。そのせいもあって、僕は、彼のことを気が合わない相手だろうと勝手に思っていた。
きっかけは、あっちのほうだった。生意気だからと殴られた頬が痛くて、さっさと家に帰りたかったのに、あいつが僕のことを大声で呼び止めたのだ。あいつは、鉄棒に逆さまにぶら下がったまま、僕の名前を呼んでいた。
「お前、何してんの?」
「見りゃわかんべ? こうもり」
「……何で?」
「べーつに。まぁ、強いて言うなら、世界を逆さまから見たくなったから、かな?」
俺、天邪鬼だからさぁ、とからからと笑う。笑いながら鉄棒の握りを変え、カオルは体をぐるりと反転する。ちょうど僕に背を向けた格好で、カオルは言った。
「殴られたみたいじゃん」
「まぁね」
「マジ、噂どおりの奴な」
「何が?」
「一匹狼で、周りを見下した目をしてるって」
僕は腕組みして、ため息をついた。
「別に見下してるつもりはないさ。ただ、何であんなに能天気に人を信じられるのか、呆れてるだけ」
「信じるって、いいことだぜぇ?」
またカオルはぐるりと反転して、手をぱっと離した。足だけで鉄棒にぶら下がって、僕の顔を見上げる。
「いいことなもんか。ヘタに信じて裏切られたときのこと、考えてもみろよ? 世の中なんてのは、信じたことが裏目に出るようにできてんだよ。だったら初めっから期待なんてしないほうがいいに決まってる。そうすりゃ、初めっから傷つくことだってないんだから」
そして僕は、14年の人生をかけて見つけた、この世の真理に対する僕の答えを口にした。
「だから、僕は何かに期待なんて絶対しないことにしてるんだ」
「よう」
相変わらず、カオルは僕が来ても、驚きの表情ひとつ見せることはなかった。
あれから、急いで自転車を走らせて、僕は来た。
夕焼けのまぶしい中学の校庭。隅っこの鉄棒のところ。
四年の月日が嘘みたいに、カオルは鉄棒にもたれかかっていた。
「その様子だと、俺の挑戦状は解けたみたいだな」
「当たり前だ。これでも頭は悪いほうじゃない」
僕は、肩で息をしながら、さっきもらったばかりの手紙をジーンズの尻ポケットから取り出した。封筒には、切手が貼られていたが、消印は押されていなかった。それが答えだ。
「帰ってきてるとは思わなかったよ」
「ばあちゃんが死んじまってな。もう全部終わっちまったから、明日にはまたあっちに帰るけど」
「ふぅん。そか」
僕は、カオルと同じように鉄棒に持たせかかって、同じように空を眺めた。校庭から見える空は広い。夕焼けに照らされたオレンジ色の雲が、大小さまざまな形でゆっくりと流れていくのがよくわかる。
「相変わらずな。お前」
カオルは鉄棒を後ろ手に掴むと、またあのときみたく、こうもりの体勢を取ってみせた。
「相変わらず、上から目線」
「わざわざそれを言うために、ここへ呼んだのか?」
苛立ちながら、僕はカオルを横目で見下ろした。
「呼んでねぇよ? 最初から」
「は?」
「きちんと読め。俺は、日時も場所も何も指定してねぇ。俺がたまたまぼんやりしていたところに、お前が勝手にやってきたんだよ」
思わず再度、手紙を読み直した。確かに、どこにもそんなくだりはない。
「相変わらずだけど、お前、少し変わったんだよ。口では何にも期待しないとか言ってても、俺がここで、お前を待っていることに期待した。だから急いでやってきたし、息まで切らしてた」
僕は、ひとつ、深呼吸した。
「そんなつもりじゃ、なかったんだけどな」
「だから、あの日も言っただろう? お前は俺と同じ天邪鬼だって」
カオルは体をぐるりと反転させ、僕と同じ方向を向いた。
「ただ、お前はそれに無自覚なもんだから、一人で泥沼にはまってた。せめて、逆からものを見ることでも覚えれば、意味のないものにも意味があるように見えたりしてたはずなのに。たとえば、あの真ん中の雲。あれが猫にだって見える」
「そういえば、言ってたな」
「嘘つけ」
今思い出しましたという顔をしてみせると、カオルは、僕宛ての手紙を指差して、にやりと笑った。オレンジの封筒には、シルエットの猫の封がしてある。
あの日。
あれからいくつかのやり取りを経て。
カオルが鉄棒から着地したときに言い放った言葉を思い出した。
「なら俺は、お前が俺に期待するようにしてやる。そんなガキみたいな台詞、恥ずかしくて言えないようにしてやるよ」
おもむろに、僕はカオルのボディに軽く膝蹴りを喰らわせた。

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