「同窓会?」
「うん。社会人になって、みんなばらばらになっちゃう前に、って」
「もうそんな年かね」
「もうそんな年だよ」
サチは俺の言葉をそっくり返してきた。その声は、昔よりちょっと低くなったように思う。
彼女から電話がかかってきたのは、中学卒業以来のことだった。それまでは、互いの恋愛相談だったり与太話だったりと、よく連絡を取り合っていたものだが、高校に行ってからは、ぱったりと途絶えてしまって久しかった。
「幹事は?」
「高畑」
「高畑? へぇ。あいつかぁ」
即座に、スポーツ刈りの騒がしい顔が思い浮かぶ。
「コウスケどうすんの? 来る?」
「そうだなぁ。あ、ほかの奴らは? 何か知ってる?」
「うーん。アカリやエーコは行くって。女子は結構みんな乗り気らしいよ。あ、でも、むっちゃんは今、北海道だから無理だって。男子のほうは、高畑が呼びかけてるって言ってたから、それなりに来るんじゃん? 萩ちんとかみーやんとかさ」
「ふーん」
何年かぶりに聞く名前が、次々と登場する。卒業以来、ほとんど思い出したこともないはずだったのに、意外とあっさり顔まで思い浮かぶことに我ながら感心した。
「久しぶりに話してみると、みんな面白いよ。やってることも、やりたいこともばらばらで、海坊主の言ってたこと、ちょっと思い出しちゃった」
「海坊主? 担任の?」
懐かしい単語だったが、これまたすぐに思い出せた。
海坊主は、数学の教師で、俺たちの担任だった。そのあだ名の由来は、昔のアニメの登場人物から来ている。背は低く、ちょっと腹も出始めていたものの、スキンヘッドにチョビヒゲと、とにかく第一印象が非常に強烈な奴だった。
「そうそう。あいつが卒業のときにしてた話」
「ああー」
ぼんやりとだが、思い出してきた。
あれは、卒業式の日。卒業証書をもらった後の最後のホームルームでの話だ。
「さてと。お前らとここで話すのも、今日で最後となったわけだ」
海坊主は、教卓に手をついて、クラスを見渡した。
「今日は、こういう日におあつらえ向きな、真面目な話をしよう」
クラス中から、ブーイングがあふれる。好き勝手に喋り出す奴もいた。けれど、海坊主は無視して、黒板にひとつの記号を書いた。
「じゃあ、一番うるさい三宅。これは何だ?」
「ん? ルートじゃね?」
「そう。正解。これは、ある数学教師の話だ。ある日、彼はこのルート記号を見ていて、ふと、あることに気づいたそうだ。ルートってのは、式全体にかけることができる。たとえば、『ルート、a足す、b引く、c足す、d掛ける、e割る、f』ってな具合にな。ひたすら長い式にかけるのであれば、ルートはずーっと伸ばしていかなきゃならん。さて、これがどういうことか? わかる奴、挙手」
海坊主は、右手でルートの中に数式を書き足しながら、左手で手を挙げてみせた。
あちこちで相談でもしているのか、教室がまた少し騒がしくなった。何人かは、首を傾げたり、首を振ったりすることで答えた。俺もまったく話が見えず、腕組みしたまま黒板をにらみつけるだけだった。
海坊主がチョークを置いた。
「ルートってのは、その式によって、短くも長くもなる。それは、人によって、いろんな人生があることにも似ているのではないか。何の偶然か、ルートってのは、音だけでつづれば『root』だが、『route』とも書ける。つまりは『道』だ。人生を道にたとえる奴もいるくらいだから、ルートから人生を見出すのは、あながち間違ってはいないんじゃないか。そう、思ったんだそうだ」
海坊主は、黒板に「root」と「route」を書き出した。
いつの間にか、教室からざわめきが消えていた。
「それから、その先生のルートとの対話が始まった。一見、このどうしようもない発見を、彼は世紀の大発見だと思ったんだろうな。なんとかこの仮説を証明できないかと、さまざまな角度から、ルートを眺め出した。教科書の定義をじっくり読み直すことから始めて、数々の文献を読み漁ったり、向きを変えて眺めたり、逆から書いてみたり、とにかく何か仮説を裏付けるヒントになることがないかと、血眼になって探したのだそうだ。やがて、その努力の甲斐あってか、先生は、またあることを発見した」
海坊主は、いったん言葉を切った。俺たちは、黙って続きを待った。誰かの唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
「大きな数字にルートをかけると小さくなる。たとえば、2は『ひとよひとよにひとみごろ』だし、3は『ひとなみにおごれや』。4は2になるし、5は『ふじさんろくにおーむなく』ってな具合だ。その小さくなった値にさらにルートをかける。値はさらに小さくなる。同じ作業を繰り返してみろ。最終的には、どんどん小さくなるが、その行き着く先は、いずれも1だ」
海坊主は、それぞれの計算式を黒板に書き留め始めた。かっかっ、とリズミカルに、チョークと黒板がぶつかる音が響く。
「若者を、大きな数字だとしよう。どうせなら、とてつもなく大きな数字がいい。若者は、成長して年を取ると、節目節目で人生の岐路という奴に立たされる。ここで何らかの選択をするわけだ。この様は、大きな数字にルートをかけるのとそっくりだ。当初無限かと思われていたような数字でも、少し読みやすい小さな数字に置き換わる。それは、年を重ねるごとに、何度も行われていく。人も数もどんどんルートをかけていくと、最終的には1に近づいていく。それはお前たちが、悩みながらも将来の進路を決めていく様に、どこか似ているんではないだろうか」
俺はうなった。周りからもおおー、と声が上がる。
その賞賛の声に調子に乗ったのか、海坊主は、聴衆を鎮めるポーズをとった。
「彼は、このことに気づけたのがよほど嬉しかったのか、多くの同僚や友人に吹聴して回った。まぁ、そのうちの一人が俺だったってわけだな。俺も最初聞いたときは、お前たちみたいに、おお、なるほどな、って感心したもんだよ。だが最近、そいつには悪いが、俺は、この仮説にひとつ、粗を見つけた」
クラスがざわめく。海坊主はにやりと笑みを浮かべ、人差し指を立てた。
「確かに、人間生きてりゃ、最終的には1へと近づいていくんだろう。でも、実際は、2とか3とか、もしくはそれよりもっと大きな数字で終わるんじゃないかと、俺は思う」
またしても意味不明な内容に、俺たちは再び頭にクエスチョンマークを浮かべる。海坊主は、教卓を離れ、クラスの中を歩き始めた。
「というのも、だ。個人に限れば、人は1に近づくのかもしれん。だが、人は個人とは限らない。協力することもできる。助け合うこともができる。それによっては、人は1だけでは終わらない。2も3も、場合によっては、10も100も表現することだってできるかもしれない。そのきっかけが、出会いという奴だ。お前たちは、これから先、いろんな誰かと出会って、値を足したり掛けたりして、増やすこともできるはずなんだ」
海坊主は、俺の真横を通り過ぎた。気がつくと、俺たちは、その姿を目で追っていた。40人の視線は、教室の前から後ろへ、ゆっくりとスライドしていった。何人かの肩に手を掛けながら、彼はまた前へと向かう。
「だから、お前ら。お前らはまず、自分の1を目指せ。そして同時に、できるだけ多くの人間に出会え。もちろん、今の友達だって、俺だって、カウントに含めてかまわない。将来、年をとってからまた会ったとき、同じようなことを考えて、同じようなことをしている奴なんて、まずいないはずだ。そのことを知る日が、いつか、きっとやってくる」
ふと俺は、左右両隣の奴を見た。高畑とサチがいた。サチとは目も合った。笑い合う。クラスの大半が、同じことをしている。なぜか、背筋が伸びた。
海坊主が、唐突に教卓を叩いた。不意をつかれた俺たちは、いっせいに前を向いた。
「さて! 以上が、俺からの贈る言葉だ。お前ら、かっこいい1、目指せよな」
そうして、中学最後のホームルームは終わったんだった。
「海坊主って来れんのかな?」
「さぁ。高畑はなんとか連絡取るって言ってたけどね。何? 会いたくなった?」
「バカ。そんなんじゃねーよ。じゃ、そろそろ切るからな」
オヤスミ、と俺は電話を切った。
そういえば、海坊主のフルネーム、何て言ったっけな。

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