上から下まで、見渡す限りの青が広がっている。
 水平線の境目がグラデーションになっているせいか、世界がどこまでも広がっているような錯覚にとらわれる。
 そんな青い世界の中に、ぽつんとひとつ、小さな島があった。島の先端からは、桟橋が伸びていて、その先端は円形に組まれていた。十人くらいなら、隣り合わせに座っても、釣りができるくらいの広さだろう。
 そんな桟橋の島の真ん中に、今は少年が一人、椅子に腰掛けている。Tシャツにポケットの多いハーフパンツ姿で、頬杖をついたまま、大きなあくびをしていた。桟橋の周囲には、規則正しい感覚で11の釣竿が並べられ、それぞれが下に向かって糸をたらしている。
 再び少年が大きなあくびをしていると、桟橋の向こう側から、白いワイシャツを着た眼鏡の男が料理の皿を持ってやってきた。
「お食事、お持ちしましたよ」
「お、悪いな、アマノ」
「どうです、調子は?」
 アマノは、釣竿をぐるりと見渡した。釣竿の柄の傍らには、数字の書かれたプレートが置かれている。いずれも「0」から「4」までのどれかだ。少年は、腕組みして、ため息をついた。
「今日日の釣りは、待つ時間が圧倒的に増えた。待つ間も釣りの醍醐味のひとつとは言うが、これは待たせすぎだ」
 眉間にしわを寄せ、忌々しげな口調で少年は言う。
「ま、私からすれば、仕方のないことだと思いますけれど」
「ほかの奴らはどうしてる?」
 アマノは、自分がやってきた島の方角を振り返る。
「最近、みんなインドア派ですから。たぶん、『5』が来ても、モニターで見守る程度でしょう」
「こういうのは、ライブで見るから面白いのにな。つまらん奴らだ。……まぁいい。アマノ。お前はここに来い」
 手招きする少年に、アマノは頷き、少年の傍らにたたずむ。
 時折心地よい風が吹いていく。釣り場は実に静かで、小さな風の音ですら、大きく聞こえてしまう。
 しばらく風に吹かれてから、アマノは少年に尋ねた。
「『5』は、もうどれくらい来てないんですか?」
「十年といったところだな」
「十年……」
 アマノは、その響きを噛みしめるように目を細める。
「天国へ、特に神様お付の天使になれる人を見つけるための『試練の釣り』。そんなのがこの世にあるなんて知れたら、下界はまったく違った世界になるでしょうね」
「だから知らせないんだろうが。だいたい――」
 言いかけて、少年は「0」のプレートが置いてある釣竿の一本に注意を向けた。
 「0」のプレートが、小刻みに振動している。
 やがて、プレートはシャッターを切るような音を立てて、数字を「1」に変えた。
「糸の近くに候補者が居たみたいですね」
「だな。だが、意外とこれにはよく引っ掛かるもんさ」
 少年は立ち上がり、数字が変わった釣竿のもとへ行く。釣竿を少しずらし、桟橋から身を乗り出す。その先には、人には見えない糸がついた誰かがいる。少年はしばらく様子を見ていたかと思うと、おもむろにリールを巻いて、釣り針を自分のところに手繰り寄せた。
「日本人だ。小学四年生だな」
 少年は、ポケットから、一枚の五千円札を取り出した。
「試練その一。『運と金銭欲』のテスト」
 五千円札を釣り針に引っ掛けて、糸を垂らし、再び人間と結びつける。その一連の作業が滞りなく完了したのを確認すると、少年は、竿を再び元の位置に戻した。
「近いうち、適当なタイミングで拾うことになるあの金を、警察など公的機関に届けることができたら合格」
 アマノが何かを言いかけようとしたところで、隣り合った「4」のプレートのついた釣竿が二つ、大きく震え出した。同時にちかちかと光って、プレートが「5」に変わる。
「へえ……。同時にヒットか。久しぶりだな」
 少年は、二本の釣竿を少しずつずらして、下を覗くためのスペースを作った。その目は、途端に輝きを帯びてきていた。
「お前も覗いてみろ」
 手招きで誘われるがまま、アマノも少年の隣に屈み込んだ。
 一方は、穏やかに年を取った白人の老女だった。柔らかい日差しの差す部屋で、ふかふかのベッドに横たわっていた。薄いレースのカーテンが、涼しげな風に吹かれて、はたはたと揺れていた。ベッドの周りは、たくさんの家族に囲まれていた。専属の医師と看護士まで居て、まるで儀式でも執り行うかのような厳粛な面持ちをしていた。あの小さいのは、ひ孫たちだ、と少年は説明した。これから、皆に見守られ、安らかに死ぬのだろう。大往生ですね、とアマノも口にした。
 もう一方は、それとは対照的な世界だった。今から死のうとしている男はまだ若い。がっしりした体つきをしていて、闇のようなスーツをぴっちりと着こなしていた。黒人の青年実業家だ、と少年がつぶやく。彼は、暗い場所に一人きりだった。銃で何発も撃たれていた。体中から血が流れ出している。時折、細い声でうめき、体をよじる。少しでも人気のあるほうに向かおうとしているようだった。
「どうなるか、賭けるか?」
「そんなの、お婆さんのほうが受かるに決まってるじゃないですか。あの男性の死に方は酷すぎます」
「さて、どうかな?」
 少年が不敵に笑うのを、アマノはにらみつける。だが、それもさっと押し殺すと、無表情で続きを見守った。
 先に死を迎えるのは老女のほうのようだ。穏やかな表情を浮かべ、家族を順に見遣りながら言った。
「こんなに……、こんなに多くの家族に看取られて逝けるなんて、本当に、幸せ。でも、エリー。あなたの花嫁姿。できれば見てからにしたかった」
 そんなやり取りの一方で、男ももうすぐ事切れようとしていた。ごろりと仰向けになると、ぜいぜいと息を切らした。焦点の合わぬ目で、うわごとのように呟いた。
「あぁ……、後は……、たのむ……」
「決まったな」
 少年は、むくりと立ち上がった。片方のプレートが「0」に、もう一方が「6」に変わった。受かったのは実業家で、落ちたのは老女のほうだった。
「最後は『不幸と未練』のテスト。最期の最期で、個人差はあれ、誰の身にも気がかりは残る。その中で、未練を口にして死ぬのか、それとも潔く死ぬのか」
「いまだに、この判断基準には納得しかねます」
 アマノの言葉に、少年は振り返る。
「今際の際に、どんな言葉を残すのか、か?」
「ええ。どんな人間だって、死ぬ前に未練のひとつやふたつ、あるでしょう。なのに、それを口にしたら不合格で、口にしなかったら合格というのは、やはり」
「ま。誰しも、未練のひとつやふたつあるという意見は、正しいだろうな」
「なら」
「だが」
 アマノの言葉をさえぎるように、少年は強く言葉を切った。
「遺されたもののことは考えたことがあるか。特に今回の老女のように、多くの家族に看取られて逝くような場合、些細な未練であっても、聞かされた方はたまったもんじゃない。彼らの未来には、ずっと彼女の言葉がのしかかってくるんだ」
 アマノは腕組みしてうつむく。
 少年は、ため息をひとつつくと、明るい顔でアマノの腰を叩いた。
「ま、それでも一人は受かったんだ。良しとすればいいんじゃないか? 何しろ、お前の最初の後輩なんだし」
「神様。もう少し釣竿は増やせないんですか? ずっと前から思ってましたけど、ここ、慢性的に人手不足ですよ?」
「バカ言え。これ以上見る人間増やしたら、全員に目が行き届かなくなるだろうが。下界の奴らが何十億人に対して、俺はたったの一人。あいつらが、神という存在にどれだけの期待を寄せてるのか知らないが、何か期待されても基本的に応える余力はない」
 神様と呼ばれた少年は、ふん、と鼻を鳴らす。
「もっとも。俺が見てる人間は、基本的に神を頼るつもりのない奴ばかりだがな」

 

END

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