「あ、またぁ」
「何が?」
「『人』を切ってる」
セイジの持っていたタバコの、封を切ったほうを指差した。指差したついでに、彼のマルボロメンソールライトを一本抜き取る。
「別に銀紙ごとき、どっち切ろうが関係ないっしょ?」
「『人』のほうを切る人はね、人間関係失っちゃうんだよ?」
「ユキさぁ。昔もそんなこと言ってたけど、いまどき気にする奴なんているの?」
「私は気にするよ」
「そりゃ、ご苦労なこって」
笑いながら、セイジは100円ライターでタバコに火をつけてくれた。
昼休み、教室から抜け出して、誰もいない屋上で、二人並んでタバコを一本だけ吸う。
それが、私とセイジが、春から夏にかけて続けていた日課だった。
今日、長くて短い夏休みが終わって、私たちは40日ぶりにここに戻ってきた。
「でもさ。先公たちが知ったら、どんな顔するんだろうな?」
セイジが煙を空へと吹き上げながら言った。
「私とセイジのこと?」
「まぁ、停学経験者と物静かな女子生徒、って組み合わせもそうだけど。そいつとタバコって組み合わせにもさ。『君みたいな真面目な生徒がこんなところで何してるんだ!』とでも言うかと思って」
「ああ。別にいいんじゃない? 全くの世間知らずよりはずっとマシでしょ?」
「お前、ホント、変わってるな。最初に見つかったときは、絶対チクられるって思ったんだけどなぁ」
「普通の物静かな女子生徒だったら、そうだったかもね」
「それがまさか、こうなるとはね」
高校三年生の春。
最後のクラス替えで、私とセイジは同じクラスになった。
彼は、孤高の一匹狼という奴で、ある意味有名人だった。誰にも近寄らず、誰も寄せ付けない。一年の頃からそのスタンスは一貫していて、今ではもう、教師もクラスメイトも、誰一人近づこうとはしなかった。私は、そんな彼のことが妙に気にかかっていた。
ある昼休み、彼がふらっと教室の外に出て行くのを目にした。たまたまそれに気づいた私は、気がつくと彼を追いかけていた。
着いた先は屋上。
立ち入り禁止のプレートがドアに打ち付けられていたが、彼は気にした風もなく、屋上へのドアを開けた。
私はドア越しに、そっと様子を伺った。
よく晴れた空だった。彼は屋上の手すりに仰向けに寄りかかって、ぼんやりと空を見上げていた。身じろぎひとつしないから、静止画でも見せられているような気になった。
心地いい春風が、何度か通り過ぎていった。
いつからか、ボールを蹴る音や、男子の大声が響くようになった。
やがて、彼は思い出したように、上着のポケットから赤いパッケージの箱と細長いピンクの物体を取り出した。慣れた手つきでタバコに火をつけたところで、私は声をかけた。
「何してるの?」
「わっ!」
できる限り軽く声をかけたつもりだったが、彼は
「あちっ!」
と、くわえていたタバコを手の甲に落とし、それどころではなくなっていた。それでも、どもりながら、彼は私をにらみつけてきた。
「お、お、お前こそ、何の用だよ?」
「別に。クラスの一匹狼が、屋上まで来て何してるのかと思ってついてきただけ」
あのとき、不思議とセイジに対する気後れはなかった。
「ひ、ヒマ人だな」
「まぁね」
「で?」
セイジは続きを促す。訊きたいことはわかる。私は首を横に振った。
「別に。何とも」
「チクったりしないのか?」
「別に。しても仕方ないし」
「ふーん」
それを聞いて、安心したのか興味をなくしたのか、セイジは腰を下ろした。もう一本取り出して、火をつけた。
私は、その横に腰を下ろして、その様子を見守っていた。
「あ」
「何?」
「『人』」
「ひと?」
「そう。『人』。タバコの銀紙、あるじゃない? それ、よく見ると、『人』って字になってるほうと、『入る』って字になってるほう、あるでしょ」
セイジは銀紙をまじまじと見つめた。
「ホントだ」
「『人』のほうを切っちゃう人は、人間関係も切っちゃうって昔から言われてるんだよ」
彼は首をすくめた。
「別に、どっちだって変わんねぇよ」
「少しは気にしたほうがいいと思うけど」
「いいよ、別に。もともと一人じゃん? 俺って」
「そうね。でも、これからは違うと思う」
「え?」
「ねぇ。タバコってどんな味がするの?」
一瞬ぽかんとして、セイジは私を見た。
「吸ってみれば?」
そう言って、セイジは赤いマルボロを私にすすめた。
これが、最初。初めて吸ったとき、どうしようもないくらいむせたっけ。
そしてそれから、月日が経った。一緒に吸う私のためかどうかはわからないけど、セイジはタバコを徐々に軽いものに変えていった。
「もう九月だな」
すっかり軽くなったタバコを吸いながら、セイジは言った。
「そうだね」
私も同じタバコを吸いながら、気のない返事を返す。
「受験、考えてんの?」
「人並みにはね」
「ふーん」
しばらく、静かに二人でタバコを吸った。同じようなペースで吸って、同じようなペースで煙を吐いて、同じようなタイミングで一本消費した。携帯用灰皿に二人分の吸殻が納まった。
「そういえばさ」
「うん?」
「いつか、話したことあったじゃんか?」
「ああ。何で、俺のことをそんなに気にするんだ、っていう話?」
私は不意に、彼とのかつてのやり取りを思い出した。
何で、俺のことをそんなに気にするんだ? 俺に関わっても、いいことなんかひとつもないぜ?
さぁ。何でだろ。たぶん、似てたんじゃない?
似てる? 俺とお前が?
うん。たぶん、そう。似てたの。
「『私も、あなたも、同じように孤独だったんじゃないかって、思ったの』」
以前と変わらぬ同じ言葉を、私はもう一度つぶやいた。
「ああ。それ。そう言ってたね」
「うん」
「それ、今も変わんない?」
「ううん」
「『ううん』?」
「うん。セイジといるようになってから、不思議とそれを感じることがなくなった」
私が笑うと、セイジも笑い返してくれた。私の頭をごしごしと乱暴に撫でた。
「そっか。偶然だな。俺もだ」
「うん。偶然」
それから私は、ポケットから、セイジと同じマルボロメンソールライトを取り出した。
「それ」
「昨日、買ったの」
ビニールを破って、銀紙に手をかけた。破いたのは『人』のほう。
「お前だって気にしてないじゃんか」
「私のは違うよ。『人』を切ったのは、いらない人間関係がなくなってくれればいいな、って思ったから」
「何だよ、それ」
くっくっ、とセイジが笑いながら、自分のタバコの箱を差し出した。私のタバコを指差す。わけもわからず差し出すと、セイジが自分の箱を私の箱にぶつけてきた。がしゃっ、と紙同士がつぶれる音がした。
「偶然に、乾杯」
「乾杯」
私たちはそれぞれのタバコからもう一本ずつタバコを取り出した。一つのライターの火で、同時に火をつける。
「今日だけ、な?」
「明日からは、また一日一本だからね」
二筋の細い煙が、屋上から立ち昇っていく。
しばらくそれは同じ軌跡を描いて、やがて同時に消えた。
予鈴のチャイムが、思い出したみたいに校庭に鳴り響いた。

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